豊中教会は、信徒運動として、日曜学校を母体として誕生した。
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1919年9月
岡町に住む信徒が自宅で土曜日の午後、子どものための集会「岡町子羊会」を開始。同時期に女性信徒が経営する金華幼稚園において行われていた「婦人のための聖書研究会」の講話を両国橋教会の釘宮辰生(くぎみやときお)牧師に依頼した。
両者は岡町、豊中を中心とする主の教会をこの地に建設することを望みつつ互いに連携して活動した。 -
1922年3月
豊能地域の伝道に使命を感じた釘宮辰生(くぎみやときお)牧師は日本メソヂスト教会巡回牧師に就任し、岡町に居を定めて豊中地区伝道に着手。数名の信徒らと共に、5月の土曜日に駅前の「豊中倶楽部」を借りてこどものための童話会を開催。
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1922年6月
6月25日、釘宮牧師による大人のための「キリスト教日曜講演会」が開かれ、30人あまりの会衆が集まった。
豊中教会はこの日1922年6月25日をもって創立記念日と定めた。 -
1922年12月
この年のクリスマス、マイヤス宣教師から洗礼を受けた4名、転入会者4名を加えて8名の信徒により教会を組織し、名称を「豊能基督教会」とした。
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1923年12月
12月20日に初代会堂を献堂した。
またこの時「豊能基督教会」を「豊中基督教会」と名称を改めた。 -
1924年4月
新会堂に愛光幼稚園を開園。
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1927年11月
大阪市十三南ノ町に十三伝道所開設。翌年4月には独立(現、東十三教会)。
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1936年
釘宮牧師は日本メソヂスト教会監督に就任のため豊中教会牧師を辞任し、以後は田中貞(たなかただし)、原野進(はらのすすむ)、村田藤一(むらたとういち)の諸教師と信徒が戦前、戦中のきびしい迫害の時代に教会を守った。
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1945年
村田牧師が帰天され、翌1946年に就任された森里忠生(もりさとただお)牧師はその後27年にわたって主任担任教師の任に当った。
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1951年
1946年から箕面で始まった信徒による桜井家庭集会は、翌年始まった日曜学校桜井分校と共に成長し、日本キリスト教団桜井教会となった。翌1955年、箕面教会と名称を変え、箕面の地に豊中教会を母体とする教会が誕生した。
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1955年
木造の会堂と園舎が竣工、次いでシャトレー(1959年、※宮武辰夫デザインの園庭遊具)、牧師館(1959年)、教会墓地(1962年)、教育館(1965年)を建設。
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1968年
万博キリスト教館問題を契機に教会の存立をゆるがす激動の時代が6年余り続き、森里牧師が退任、70数人の教会員とともに蛍池に「豊中いわお伝道所」(現在の豊中いわお教会)を開設するに至った。
紛争という予想もしない経緯ではあったが、同じ豊中市内にさらにもう一つの教会が誕生した。
森里牧師退任と主任担任教師不在の困難な状況の間、代務者として伊東平次(いとうへいじ)牧師、ロバート・ウィリアム・ラーン宣教師が牧会した。 -
1976年
村山盛敦(むらやまもりあつ)牧師が就任、紛争後の新たな歩みが始まった。
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1989年
愛光幼稚園は「学校法人豊中キリスト教会学園豊中愛光幼稚園」として新たな歩みを始めた。
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1995年
阪神淡路大震災では大事は免れたものの、多くの教会員と教会堂が被災した。
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1998年3月
現在の第3代会堂を献堂
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1999年3月
村山牧師は23年にわたる主任牧師を辞任、4月より三谷高康(みたにたかやす)牧師を招聘した。
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1999年7月
イギリス・マンダー社製パイプオルガンを奉献
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2006年3月
三谷牧師は7年間の働きを終えられ、4月より後藤正敏(ごとうまさとし)牧師を主任牧師として招聘した。
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2014年3月
3月、後藤牧師は8年間の働きを終えられた。
4月、幼稚園は「(学)豊中キリスト教会学園幼保連携形認定こども園 豊中愛光幼稚園」として歩み始めた。 -
2014年11月
主任牧師として山﨑道子(やまさきみちこ)牧師を、担任牧師として山﨑塁偉(やまさきるい)牧師を招聘。
現在に至る。 -
2020年4月
新型コロナウイルス感染拡大により、「緊急事態宣言」発出中は会衆が集う公同礼拝を一時休止して家庭礼拝を実施し、会堂での主日礼拝は牧師と家族のみで継続。公同礼拝再開後も感染対策を必要とする時期がしばらく続いた。
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2022年6月
創立100周年を迎え、6月26日に創立100周年記念礼拝をささげた。翌2023年12月に『創立100周年記念誌』を発刊。
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2024年4月
豊中愛光幼稚園は、豊中でもっとも長い歴史を持つ園として創立100周年を迎え、6月に感謝礼拝をささげた。